受験生と保護者の「第一志望こだわり」体験!

「選ばれる」ためには、それなりの努力をしなければならない。

静まり返った会場。心臓が言うことを聞かない。さけび、走らずにはいられない。洛星中学校合格の喜びとともに。

三年生の終わり頃、折り込みチラシに入っていた成基学園の入塾テストの案内を見て、やってみようと思い、テストを受けてみた。その後、父が、「行っていいよ」と言ってくれたので、四年生から成基学園に入ることにした。四年生の時は受験のことなど一切考えておらず、知識が増えて楽しい、ということで続けていた。
五年生になると、クラスが受験をするムードになってきたので、私も、京都教育大学附属京都中学校を受けようと思っていた。四年生から算数は得意だったが、国語が苦手だった。そんな時、国語のI先生に出会った。I先生のおかげで国語が好きになれた。
六年生になると、今までやってきた野球をやめて、受験に専念するようになった。それと同時に、志望校も京都教育大学附属京都中学校から、野球部のある洛星中学校に変えることにした。また、私にとって六年生のクラスのムードは大切なものだったと思う。楽しく授業を受けることのできるクラスだったから、投げ出さずにやりとげることができた。

六月に日曜進学教室が始まった。みんなは最難関特訓に選ばれていたのに、私は選ばれなかった。さらに、夏休みにあった夏期合宿でもSクラスに入れず、Hクラスだった。みんなと実力が離れてしまっていると感じた私は、夏休みにその差を縮めようと思い、勉強に励んだ。
この夏のがんばりのおかげで、
「これだけやっても大丈夫なんだ。」
と、自分の限界が思っていたよりも高かったことに気づき、さらに勉強に真剣に取り組むことができるようになった。そんな経験から夏休みというものは、本当に受験の山場だと痛感した。
しかし、そんながんばりにもかかわらず、また最難関特訓に選ばれなかった。悔しい、悔しい、悔しい。そんな思いがずっと、私の心の中で動き続けた。やらなければならない。そのことをようやく知った。そのかいあってか、日進の成績が上がり、三十位以内に何度か入ることができた。

ただ、私は甘かった。成績が上がるとともに、安心感が生まれてきてしまったのだ。そして、日進第十五回。一三〇位という目標ラインからはほど遠い、あり得ない成績となってしまったのだ。ウルトラコースになっていたとはいえ、偏差値が五〇を割ってしまい、そこから算数のスランプ……。このままでは、あこがれの洛星中に行くことができないと思うあせりと、算数をどうにかしようとする思いから、がむしゃらに問題を解きまくった。スランプから抜け出したのは、日進第十八回目ぐらいだった。
ここで安心してはならぬと思い、赤本もコツコツやるようにしていった。社会は受験校全部を二年分、他は洛星中学を七年分と、洛南高等学校附属中学校を五年分解いておいた。社会は少ないように思うが、K先生が二年分で良いとおっしゃったので、その通りにした。それに、五年生の時のT先生と、六年生のK先生のおかげで社会には自信があった。

新しい年をむかえると正月特訓、直前特訓とまたたく間に過ぎ、とうとう一月十四日。本命の洛星中だったが緊張はしなかった。
やはり、当日は見せつけてやろうと思ってのぞむ方がだんぜん良い。そのおかげで楽に受けることができた。全ての教科が難化していて、正直どうしようかと思ったが、自分を信じて解き切った。結果は合格。心配していた分よけいにうれしかった。その流れにのって、無理だと言われていた洛南高附中にも受かることができた。

さあ、次はあなたの番だ! と言う前に、『ノブレスオブリッジ』という題名について、話しておこうと思う。
この言葉は、受験を通して私の心の支えとなった言葉だ。意味は、
「選ばれた人はそれなりの努力をしなければならない」。でも、私は、「選ばれる」ためには、それなりの努力をしなければならないというふうに読み取れると思う。それなりの努力をすれば必ず実を結ぶ。だからあきらめないで受験と向き合ってほしい。
また、友だちはたくさん作ってほしいと思う。受験に受かっても、友だちがいないとさみしいはずだ。だから多くの友だちを作ってほしい。友だちはライバルとして、お互いを伸ばし合えるという点でも必要なのではないか。

この場をかりて、言いたいことがある。
私の受験を支えてくれた全ての人に言いたい。言葉ではあらわしきれないほど感謝しています。ありがとう。
では改めて。さぁ次はあなたの番だ!
合格発表の時、あなたが笑っていることを心から願っています。