受験生と保護者の「第一志望こだわり」体験!

弁護士という明確な目標を持つようになり、第一志望校に入ろうと決めた。

一月十八日の洛南高等学校附属中学校の合格発表の日、道中のバスの中で、ぼくは試験の時よりも緊張していた。なぜなら、ずっと目標にしてきた、あこがれの第一志望校だからだ。だから、自分の受験番号を見つけた時には、とてもうれしく、また、ほっとした。

ぼくが、洛南高附中を第一志望校にしたのは、四年生の時だ。
三年生の時は、受験をするのかしないのか、ということすらよくわからなかった。でも、四年生になり、困っている人の力になることができる弁護士になるという明確な目標を持つようになり、洛南高附中に入ろうと決めた。それ以来ずっと洛南高附中を目標に勉強してきた。

ぼくの、最も苦手な教科は算数だった。
それがはっきりしてきたのは、五年生のころだ。四年生のころは、ショートテストで一〇〇点はまれではなかった。五年生になると、だんだんと一〇〇点がとれなくなってきた。たしか、五年生のショートテストで、一〇〇点は五回ぐらいだったような覚えがある。オープンテストでも、一〇〇点が二十人ぐらいいるにもかかわらず、自分は九十点台ということが多くなった。
しかし、六年生になると、Y先生のこれまで見たこともないような、わかりやすい授業に出会った。そして、算数の授業が楽しみになった。だから、授業もきちんと聞いた。また、五年生の時とは比べものにならない量の宿題も出た。それもなんとかやっていった。
そのおかげか、日曜進学教室のエントランスコースでは三回も一〇〇点をとることができた。そして、ウルトラコースでも、初回を除き七十点から八十点前後の点をとることができた。こんなふうにして、算数への苦手意識もだんだんとなくなっていった。

一方、得意でも苦手でもなかった国語の点数が悪くなっていき、日進のベーシックコースで五二点をとってしまった。
国語が悪い時は、総合成績も下がった。だから、国語を何とかしないといけないと思うようになった。でも、目立って良くはならなかった。だから、あきらめたような気分になった。しかし、日進第十四回で一位になることができた。自分でも驚いた。
そこで、ふと祖父が言っていた言葉を思い出した。
「H家は、みんな国語が得意やのになんでお前だけできんのやろ。」
そうか、とぼくは思った。
今回一位になれたのは才能が開花したからではないか、と。そしてぼくは、自分は天才だと信じこむことにした。すると、不思議なことにその後は、国語の順位が安定し、一ケタであることが多くなった。
本当はそうでなくても、自分を信じ、その気になってやると良い結果につながるのかも知れない。そして、いつのまにか、国語が社会の次に得意になっていた。

他には、理科の緑本を期限ぎりぎりに終わらせることができた。期限の日は、一日中緑本をやっていた。そんなに長時間勉強できたのは、夏期合宿で一日中勉強する経験をし、長時間の勉強に慣れたからに違いない。本当に夏期合宿は役に立った。

ぼくが洛南高附中に合格できたのは、周りの人の支えも大きかった。
父は、十一時近くでも車で迎えに来てくれた。母は、弁当を毎日作ってくれた。荷物も持ってきてくれた。先生方にもお世話になった。国語のO先生、算数のY先生、理科のK先生、社会のK先生のおもしろく、すばらしい授業のおかげで、理解が進んだ。また、質問受けにも応じてくださり、疑問をなくしてもらった。宿題もオリジナルで、ていねいに作ってくださった。もちろん、それ以外の多くの人にも支えてもらった。本当に、「ありがとう」と感謝の気持ちを伝えたいと思っている。

ぼくは、洛南高附中に入学し、必死に勉強し、京都大学に入り、法科大学院を卒業して司法試験に合格し、弁護士になりたい。
これまで支えてくださった方々に報いることができるように、一生懸命勉強しようと思う。