受験生と保護者の「第一志望こだわり」体験!

今まで志望校なんて考えたことのなかったぼくに、第一志望校は大きな影響を与えてくれた。

「あれ、よく見えないな。」
ぼくはその時、洛南高等学校附属中学校の合格発表が貼り出された掲示板を見ていた。ぼくは目が悪いので、その掲示板に書いてある受験番号がよく見えなかった。しかし、受かったか落ちたかは、すぐにわかった。なぜなら、隣で母がうれし泣きをしていたからだ。そこでようやく掲示板に書いてある受験番号が見えてきた。
「一五六、一五九、あった!」
ぼくの受験番号、一五九番があった。その時、言葉にならない嬉しさがこみ上げてきた。ぼくは、一瞬、今何がどうなっているのかわからなくなった。今まで塾に通った三年間が、全て報われた気がした。そして、涙があふれて、前が見えなくなっていった。

ぼくが初めて成基学園に来たのは、四年生のころだった。ぼくは昔から、下より上がいい、二番より一番の方がいいというタイプだったので、トップ高ジュニアコースではなく、受験コースを選んだ。
一年生のころから習い事をしていたので、余裕でトップをとれると思っていた。けれども、実際はぼくよりも賢い人がたくさんいた。ぼくは、その人たちを追い抜こうと、必死に努力した。しかし、無理だった。ぼくが努力しているつもりでも、彼らはぼくよりも、もっと努力していたのだ。
思えば、ぼくは余裕でできると思っていた宿題が、全くできていなかった。ぼくの努力はいつのまにか、終わらない宿題を少しでもやろうという努力に変わっていたのだ。
こんなことでは、成基学園に入る時に決めた、「学校の賢い人を追い抜く」という初志を貫けないと思い、これからは宿題を全て提出して、初志貫徹してやると決めた。
そして、初めの努力とはちがう努力をしているうちに、四年生が終わり、五年生になった。

五年生のある登園日に、成基学園学研教室の入り口に、合格発表の大きなポスターが貼ってあった。そのポスターに、「洛南高等学校附属中学校 合格者◯◯名」という文があった。
他の中学校よりも輝いて見えた。
それから、洛南高附中についていろいろ調べてみた。洛南高附中は、勉強もトップクラスで、クラブ活動もがんばっている、いきいきとした中学校だったのだ。今まで志望校なんて考えたことのなかったぼくに、洛南高附中は大きな影響を与えた。その日から、洛南高附中を目指そうと決めた。そのために、今のぼくの問題点を全てなくそうと思った。

まず、ぼくのいるクラスは上から二番目のレベルなので、一番上のクラスに上がろうと猛勉強をして三組に上がった。
次は、家での勉強の時間だ。ぼくのそれまでの生活は、朝、勉強をせず学校に行き、帰って塾に行くまでの何十分間をぼーっと過ごし、塾に行って勉強すると帰ってからは勉強も何もせずに寝る。そして翌日、また同じ一日が始まる――。
そんな日々を、やりがいのある充実した毎日にするため、受験した先輩たちの勉強時間を参考にして、体をこわさない程度の計画を立てた。六年生になるとき、塾で夜遅くなるまで勉強するのは嫌だったが、みんなに遅れをとりたくなかったので、演習講座にも参加した。

ぼくが第一志望校の洛南高附中に合格したのには、成基学園で勉強したこと以外にも、いくつか理由がある。
一つ目は、勉強の間にしっかり休憩を取っていたことだ。しっかり休憩を取ることで、体をこわしたり、ストレスがたまったりしなかったと思う。
二つ目は、ライバルの友だちがいたことだ。そんな友だちがいると、テストの成績を競ってがんばることができた。
三つ目は、夏休みの途中にあった合宿だ。同じ成績の人がいたこともあるし、ぼくよりずっとレベルの高いクラスの人と同じ場所で勉強すると、ぼくももっともっと成績を上げられるという可能性を見出せた。
四つ目は、「何が何でも洛南に受かってやるぞ!」という気持ちを、常に持っていたことだ。
そして何より、周りの人たちの協力があったからこそ、ぼくは洛南高附中に合格できた。
今度は、ぼくの将来の夢で恩返しをしようと思う。

ぼくの夢は、京都大学医学部に入り、世界中にある治らない病気の抗体をつくり、病で死んでしまう人々を救い出したいということだ。コロンブスがアメリカ大陸を発見したように、ぼくもいろいろな病原体の抗体を発見した暁には、洛南高附中に合格したときと同じような嬉しさがこみ上げてくるにちがいない。
そして、その時ぼくは、初志貫徹したと言いきれるのだ。