受験生と保護者の「第一志望こだわり」体験!

いっぱい泣いたけれど、最後に笑えたから、本当に、本当に良かった。

僕の受験勉強は、四年生の春に始まった。
初めての塾通い。初めてだったから緊張したけれど、慣れてくるにつれて友だちもでき、楽しくなった。中だるみの五年生を何とか終えて、六年生の春から、いよいよ本格的な受験勉強が始まった。

やる気満々でスタートした六年生。
五月までは、スタートダッシュとばかりに必死で勉強し、日曜進学教室での成績もそこそこで、僕の受験勉強は順調だったと思う。夏休みも自分なりに勉強したし、夏期講習も合宿も、まじめに取り組めた。
少しは遊べたので、こんなものだと思っていた。

夏休みが終わり、運動会の練習に追われているうちに、九月もあっという間に過ぎていってしまった。
気がつけば日進も十回を終えて、僕は迷わず、ウルトラコースに進むことを決めた。
「ウルトラショック」
ウルトラに行くと偏差値は下がるということは、どの先生にも言われていたことだったが、実際に目の当たりにするときつい。かなりきつい。僕だけではなく、両親も顔色が変わっていた。
「下がると聞いていたけれど、ここまで下がっていいものか。」
その後の日進でも、恐ろしい成績は続いた。得意だったはずの教科でも、点数が取れない。
「ここが我慢のしどころだ。」
と、何度も言われた。

日進も終盤、悪い成績の中でも三〇位くらいまで入りこめる回も出てきた。木曜日と土曜日以外は毎日塾、日曜日は朝から晩まで特訓と日進。友だちとも遊べない。学校でのテレビの話題にもついていけない。塾と学校の宿題に追われる毎日。
僕の母は、塾の保護者会で言われたそうだ。
「今のうちにいっぱい泣いてください。もっともっと泣いてください。最後に笑うために。」
僕は表には出さなかったけれど、心の中ではいっぱい泣いていた。でも、その時はもっと辛い〝受験直前〟というものを知らなかった。

冬休みは誘惑が多いが、
「最後まで気をゆるめないこと」
これを肝に銘じた。

年が明けて、「正月特訓」は友だちもいなくて、孤独と闘いながら課題を消化した。
「直前特訓」では、もう数日後に受験が始まるというプレッシャーで押しつぶされそうになりながら、対策テストに打ちこんだ。
家や塾での自習では、志望校の赤本を時間を計りながら、点数も出しながら、ひたすら数多く取り組んだ。合格点が取れないこともあったが、わからないところは先生に質問して解決していった。このようにして、受験直前までやり尽くした。

一月十四日。いよいよ僕の受験がスタートした。
初日の午前は洛星中学校。初めての激励会。知っている友だちもいたから心強かったけれど、試験は難しかった。
それを終えると、今度は大阪桐蔭中学校の午後入試。受験する前は、体力は大丈夫だろうと思っていたが、八時半までの試験は正直きつかった。
次の日は高槻中学校。そのまた次の日は洛南高等学校附属中学校。ここが本命だから気合を入れ直して取り組んだ。手ごたえはあったから、少しいけてそうな気がした。

合格発表の日。高槻中の不合格がわかってから、急に洛南高附中の自信が消えうせた。自分の番号がなかったらどうしよう。不安でたまらなかった。家族四人で見に行ったが、門が開いて列が進み始めた時、父が僕を引き止めた。
「お母さんと妹に、先に見に行ってもらおう。」
だから僕は、父と門の手前で待っていた。それからゆっくり前へ進んでいくと、少し涙目になっている母が、
「あったよ! あったよ!」
と、僕に向かって叫んでいた。嬉しかった。本当に嬉しかった。がんばってよかったと心から思った。
こうして僕は、受験を最高の形で終えることができた。

いろいろな面で支えてくれた家族、勉強や受験についてのいろいろなことを、たくさん教えてくれた先生。応援してくれた親戚や友だち。感謝してもしきれないくらいだ。
いっぱい泣いたけれど、最後に笑えたから、本当に、本当に良かった。