受験生と保護者の「第一志望こだわり」体験!

家族全員の協力でつかんだ合格。支えてくれた全ての人に感謝!

私が入塾したのは、三年生の三月です。成基学園の前を通りかかると、志望校に合格したたくさんの人の名前が貼り出されていて、私もがんばってみようと思ったからです。最初の頃は宿題をこなすことに必死で、受験のことを全く分かっていませんでした。

五年生になり、いろいろな中学校の見学に行きました。その中で、私は同志社女子中学校の自主性を尊重する雰囲気が気に入り、絶対にこの学校に合格したいと思うようになりました。

そうしている間に六年生になり、日曜進学教室が始まりました。そして、日進第一回目の算数がなんと十六点だったのです。私は、
「このままでは、同志社女子に合格することができない。」
と、この時になって初めて自覚しました。

そこで、塾の担任の先生と相談し、父と「ラプラス」を徹底的にやることに決めました。毎日、父が指示したところをやり、会社から帰って来た父に確認してもらうようにしました。それと、夏の合宿の算数道場の成果もあり、九月に入ってから、算数の成績が伸びてきました。元々、国語は得意な方で、理科はまあまあでしたので、残る問題は社会でした。特に歴史は大の苦手で、年代や人名が全く覚えられませんでした。そこで、また父の登場です。父は私のために、特製「父社会ノート」を作って、歴史の流れを何度も何度も説明してくれました。
また、私がやる気を出せるように、「ラプラス」や社会をやっただけポイントを専用のノートにチェックし、ポイントが貯まれば私の大好きな食べ物やかわいい文ぼう具と交かんしてくれる制度を作ってくれました。
私はその制度そのものよりも、父の気持ちが嬉しく、毎日がんばりました。最終的には「ラプラス」は三周やり、社会も合格ラインに達する点数がとれるようになりました。
そして正月特訓で、一つ上のクラスに上がることができたのです。このことは、私の大きな自信へとつながりました。

ついに入試当日になりました。私は自分に、
「今までこの日のために一所懸命、がんばって来たのだから絶対、大丈夫。」
と言い聞かせました。
初めの国語は調子がよく、次の算数も「ラプラス」をやった成果があり、かなりの自信を持てました。しかしその次の社会があまりできず残念でした。そして最後の理科も相変わらずまあまあできました。結果はもちろんまだ分からないけれど、自分の力を出せるだけ出せたと思いました。
その帰りの電車で結果がまだ分からないのに、
「おそらく合格したと思う。」
と父と母に話していました。
合格発表の日、たくさんの番号の中から自分の番号を見つけた時、自分の心が安心感と喜びで満たされ、涙があふれました。

私が合格できたのは、私ががんばったからだけではありません。かかさずお弁当を作ってくれた祖母、雨の日は車で送り迎えしてくれた祖父、私にぴったりのテキストを選んでいろいろなことを教えてくれた父母の支え。そしてなにより、熱心に指導してくださった先生方と、同じ目的を持ち、はげまし合いながらがんばれた友だちなど、たくさんの人が私を合格まで支えてきてくれました。私は支えてくれた人への感謝の気持ちを大切にして、これからも、もっとたくさんのことをがんばっていきたいと思います。

これから受験をする人は、たくさん辛いことがあるかもしれないけれど、あきらめずにがんばってください。私も何度もあきらめそうになったことがあります。けれども、
「たくさんの人の期待をムダにしないように、自分は精一杯勉強しなければならない。」
という気持ちを持って、一所懸命、取り組みました。
努力すれば必ず合格への道は開けます。いつか必ず「あの時やっててよかった。」と思える日が来ます。だからそれまで自分を信じてがんばってください。