受験生と保護者の「第一志望こだわり」体験!

獣医になる夢を実現するために、あこがれの学校へ

一月十六日、同志社女子中学校は、インターネット上での合格発表だった。合格発表の直前は、不安な気持ちでいっぱいだった。LAコースもWRコースも落ちていたら…。
八時過ぎ。だんだんと番号が画面に映されていった。
「一五二…一五二…」
数字がたくさんあり、何が何だかわからなかった。その瞬間が今までで一番ドキドキしたかもしれない。
「一五二番、あった!! WRコースだ!!」
「やったー!!」
家族で喜んだ。

振り返れば小学四年生の春、成基学園の門をくぐった。
お姉ちゃんが、同志社中学校に合格した時の喜びを、私も感じたかったから入塾した。でも、まだ中学受験をしたいとは思っていなかった。
四年生の最初はやる気があり、成績も悪くなかった。でも、オープンテストや講習会のテストでは、なかなかよい点が取れなかった。特に算数は苦手教科で、足を引っぱっていた。
五年生になると受験が近づいてきたと思い、がんばった。まだ最初は、成績もよかった。でも夏ぐらいになると、成績が低迷してきた。
六年生になって志望校を決める時、獣医になる夢を実現するために、同志社女子WRコースに決めた。

六月になり、日曜進学教室がはじまった。
一回目は緊張し、点数が悲惨だった。二回目、三回目はWRコースがA判定というところまでは行かなかったが、一回目よりは確実に成績が上がった。それからも成績は上がったり下がったりだが、同志社女子中学校WRコースの偏差値には届かなかった。
ついに夏合宿がやってきた。私にとってはとてもキツかった。算数は難しく、追いつけなかった。でもみんながよくできたので私はあせった。そして、それからもがんばって勉強した。だが、やっているつもりでもできていなかったのかもしれない。
夏期講習の最終日テストはよくなかった。それから日進もよくなかった。「ラプラス」を仕上げたら、少し成績が上がった。でも、またWRコースの偏差値は届かない。十月頃になっても、六年生の最初のオープンテストでしか、WRコースの偏差値に届いたことはないのだ。そこで、T先生に相談して、お姉ちゃんが持っていたテキストをやった。
ついに最後の日進がやってきた。これで、自分の偏差値をしっかり確認するのは最後だ。回答が返ってきた。一瞬、目をうたがった。なんと国語が九十六点だったのだ。他の教科もよくできた。最後の日進でやっとWRコースがA判定になった。自信を持った。でも、油断はできない。お姉ちゃんがやっていたテキストを仕上げ、間違えたところをもう一度やり直した。

正月特訓はすごく長く感じた。受験は目の前だ。必死でがんばった。受験に受かるためには、このぐらいしないといけないと思って。一月七日、前受験を受けた。いろいろな塾の旗が立っていた。何かよくわからないが、そのふんい気に圧とうされた。だが、自分でおち着こうと思って深呼吸をして、試験が始まるのをまった。
ついに試験が始まった。みんなの鉛筆の音がカン、カンとなる。私はその鉛筆の音であせっていた。だが、名前を書いて、もう一度深呼吸をして、まわりの事を気にせずに国語の試験を受けた。きん張したのは初めだけだった。算数からは何もきん張しなかった。逆にリラックスしていた。結果は合格。第一志望でなくても嬉しかった。合格を一つ手にしたから。

直前特訓はみんなすごかった。やる気が伝わってきた。私も今までにはない集中力でがんばった。
受験前日。塾で先生は、
「落ち着けば本当の力が出せる!!」
と言ってくれた。友だちとは、
「みんなで合格しようなぁ。」
と、はげましあった。先生や友だちの言葉で、
「明日は絶対、合格する!」
と、やる気が出た。

受験当日、同志社女子に着くと成基学園大津教室の先生がいた。
「応援しているから、がんばってね。」
と言ってくれた。おかげで国語がとてもリラックスして受けられた。算数も最初はスラスラと解けたが難しい問題があり、つまっていた。だが、つまっているひまはないと思い、最後の問題をまず解いた。残り五分。まだ目を通していない問題を見た。簡単だった。でももうおそかった。解けなかったのだ。理科と社会はよくできた。算数は不安だったものの、手応えはあった。
そしてやっと第一志望校合格を手にしたのだ。

すばらしい結果で受験を終えることができたのは、大津教室の先生方や友だちの支えがあってこそだった。このめぐり合いにとても感謝している。本当にありがとうございました。