受験生と保護者の「第一志望こだわり」体験!

あきらめようと思ったことも…。多くの励ましに支えられ見事合格!

僕が受験というものの中で一番心の中に残っているのは、スーパー特訓に行けなかったことだ。第一タームの候補に入ることはできたのだが、その時の感想は、「とにかく難しい」ということだけだった。問題は半分くらいしか解けなかったが、解説はおもしろく分かりやすかったので、僕はスーパー特訓が好きになった。
しかし第二タームには行くことができなかった。洛星中学校に入るためには、スーパー特訓に行かなければならないと僕は思っていた。難しい問題を解かないと、洛星中を受けるのには、不利だとしか考えられなかった。だから、スーパー特訓に行けないと分かった時は、すごくショックだった。
しかし、六月になると考えているひまもなく、日進エントランスコースが始まった。第一回の算数は五十二点…。絶望的だと思った。第二回は盛り返し、第三回はまた下がった。第五回は総合で五九位を取り、洛星中の合格率も八十%…やっと少し安心したが、それからもよかったり悪かったりと、なかなか安定しなかった。
この間ずっと、友だちや母やT先生が、僕を励まし支えとなってくれた。だから僕は力の限りがんばることができたのだと思う。
しかし、なかなか結果は伸びず、十二月の大阪桐蔭中学校プレテストでも、期待していた一貫英数選抜A判定ではなく「もう少し努力が必要」というC判定だった。

正直な気持ちを言えば、「もう洛星はあきらめよう」と思っていた。こんな点数では、洛星中なんか受かるわけないと思った。
すごくショックで落ち込んだが、塾の先生や友だちの前ではそんなところは見せたくないと思い、明るくふるまっていた。その分、家ではずっと「どうしよう」と考え続けていた。
十一月ごろになって、やっと赤本を本格的にやり始めた。同じ月の二十三日に洛星オープンを受けたが、その結果は算数が三十六点。判定は前期日程Aだったが、これではいけないと思い、算数を強化することに決めた。
「洛星中の算数二十年」を買い、その十年分を解いた。赤本と同時に進めていると、点数も上がったり下がったりではっきりしない。十七年の算数では、また四十点を取ってしまった。また不安が戻ってきた。一月になり、算数の流水算や図形の移動、点の移動、旅人算、速さに関する問題をやり続けた。

そして、一月十五日、大本命の日。
朝早く起きたが、頭はすっきりしていた。学校に入った瞬間、緊張してきた。校長先生の放送を聞きながら、深呼吸をすると、だんだん落ち着いてきて、いつもの日進のような気持ちで、試験を受けることができた。
しかし、終わった後は不安でたまらなかった。なぜなら、国語の百四十字以内の記述を埋めることができなかったからだ。十五字くらい書いたところで終了の音が鳴り、最後まで答えられなかった。これでは、書かないのと同じだと思った。算数は思ったよりできたが、どうしても記述問題を解けなかったことが気になった。

ところで、僕が洛星中に入りたいと思った理由は、三つある。男子校であることと、僕の武器である理科と社会の配点が高いこと、そして鉄道同好会があることだ。僕は男子ととても気が合うので、男子の中で中高の六年間を送り、仲間をつくりたいと思っていたし、理科と社会が得意だった。それに、昔から大好きな鉄道について、研究したいと思ったからだ。

合格発表の日は、奈良学園登美ヶ丘中学校の入試に行っていた。試験中も、洛星中のことで頭がいっぱいで不安だった。合格発表は父が見に行ってくれて、僕と母は少しでも気がまぎれるように、買い物に出かけた。
店の中にいたとき、母の携帯に電話がかかってきた。父からの電話で、僕の結果についてだった。電話をとる母を見ているのもこわかったので、僕は目をそらしていたが、結果は「合格」。その後、メールが来て、写真の中に僕の受験番号「一三四七」はあった。
本当に「合格」したのだ、と改めて思った。すごく喜んで、早速母と二人で飲み物を買い、お祝いの乾杯をした。
とてもいい気分だった。

僕は、周りの人が僕を合格するまで支えてくれたことにとても感謝している。周りの人というのは本当に大切な存在だ。先生、友だち、そして家族が、落ち込んでいるときはそっと支えてくれたし、うれしいときは一緒に喜んでくれた。これからは、そのお礼のためにも、洛星中学校でしっかりがんばろうと思っている。

そして、これから受験をする人へ。
大きな壁に当たっても、決してあきらめないでください。そして、努力は、いつか必ず報われます。