受験生と保護者の「第一志望こだわり」体験!

挫折や失敗をバネにして、より自分を成長させていく

一月十六日、洛星中学校の合格発表があった。
洛星中学校に着くまで僕は、全く落ち着かなかった。合格しているだろうか。いや、不合格かもしれない。でも合格しているかもしれない。期待と不安が混ざる中、僕は自問自答をくり返していた。こんなことを考えているうちに自動車は洛星中学校に着いた。会場は思っていたより人が少なかった。
会場に着くとほぼ同時に幕が上がった。すると父が、
「おっ。あるやん。」
と言った。僕は急いで番号を見直した。僕の番号はたしかにあった。
同じクラスの友だちも合格していた。そして、みんなでいっしょに喜んだ。

僕が、最初に成基に入ったのは一年生の時だった。僕は、その時はSSJで、「受験」なんていう言葉は頭の片隅にもなかった。
こんな僕が、「受験」というものを意識しだしたのは、五年生の時だった。その時にある先生と出会った。その先生が、N先生だった。
僕は、その時算数が大の苦手だった。
特に図形は苦手だった。その苦手を得意にしてくださった先生がN先生だった。N先生はおもしろく、時には厳しい先生だった。先生は授業時間だけでなく、夜おそくまで補講をしてくださったり、授業は休みなのに来て、質問に答えてくださったり、特訓をしてくださったりした。この時から、図形では相似を見つけたりするのが楽しくなり、算数が得意になっていった。

しかし、よいことは長くは続かなかった。
スーパー特訓の第二タームに入れなかったのだ。これだけではなかった。エントランスコース、ベーシックコースとほぼ順調だった日曜進学教室が、ウルトラコースに入ると思っていたより成績が落ちてしまった。また、解答欄をまちがえるなどの凡ミスもあった。僕はさすがにあせった。そして、今までよりも日進の復習をした。十一月頃になると、赤本も解き始めた。そして、なんとか持ち直し、共通回では二十位以内になったこともあった。でも、スーパー特訓第三タームにも入ることはできなかった。くやしかった。
そして、僕にはもう一つ欠点があった。
それは、問題を解くスピードがすごく遅いということだった。テストでも最後の方の問題は五分ぐらいしかないということが多かった。この欠点を克服するために、過去問をたくさん解いた。先生がくださる問題も積極的に解いた。すると前よりはスピードも速くなった。過去問も合格点以上を取れるようになった。うれしかった。それでもまだ落とし穴はあった。

洛星オープン模擬テストの日。これまでにないと言ってもいいほど最低な点数だった。総合順位は社会で持ち直したものの、算数が、百二十点満点で三十点だったのだ。すごくショックを受けた。そして、その問題を何度も解き直し、赤本も、前より倍ほどやるようにした。理科も暗記カードを何回も見直したり、ゼミノートを見たり、また年号暗記や漢字も見直したりした。
そんなことをしているうちに正月特訓も過ぎ、直前特訓がやってきた。そこで、僕は最終確認をして、自信を持つことができた。

その直前特訓も過ぎ、ついに洛星中学校の受験日がやってきた。会場に着くとN先生や他の先生方もたくさんいらっしゃった。一斉激励の後、教室に入った。緊張はしていなかった。むしろ、リラックスしていた。算数は赤本より難しく感じられた。国語と理科は空白ができてしまった。社会は思っていたより簡単だった。洛星中学校の後も三校受験し、僕の受験は終わった。

僕はこの「受験勉強」の中でたくさんの人に支えてもらった。夜遅くまで勉強を教えてくださったたくさんの先生方、日曜日や夜食にもお弁当を作ってくれたり、勉強を教えてくれたりした両親。こうした支えがあったからこそ、第一志望校に合格できたのだと思う。またクラスの中に同じ中学校を目指す友だちがいたから合格することができたのだと思う。

今まで支えてくださった方々、ありがとうございました。