受験生と保護者の「第一志望こだわり」体験!

一人だけの不合格…。その苦難を乗り越え、第一志望校合格へ!

「受験は辛いもの。受験なんて早く終わったらいいのに」
私はずっとそう思っていた。しかし、終わってしまった今は、ホッとしているというよりも、頭の中の多くをしめていた「受験」というものがなくなってしまったため、何か頭が真っ白である。そんな状態だが、この三年間を振り返ってみる。

私が成基学園に入塾したのは小学校三年生だ。あの頃は何の目的もなくただ習い事を一つ増やしたかっただけだった。結局、志望校には手が届きそうもなかったので、中学入試はしないことにし、高校でリベンジしよう、と思っていた。

中学生になっても、はじめの頃は小学生の時と同じようにしていたら、そこそこの成績はとれていた。中学校といっても内部進学のため、小学校とほとんど差異はなく、環境に変化がなかったので、他の人よりは一歩前に進めているような気がしていた。
しかし、二年生の特に後半になると、今までどおりにしか勉強していなかった私は、あっという間に何人もの人に抜かされていた。校内で一〇位以内をとれないこともたまにあった。それでも何の危機感も感じていなかったので、勉強法を変えることなく、何となく宿題や復習をしているだけだった。
こんな調子だったので三年生になると、本当にひどい結果を連発した。見たことのない順位もとった。一回、オープンテストで三教科百十一位ということがあった。そのせいで、私は夏の合宿では三組だった。本当に悔しくて、涙がこぼれた。そしてその時、「絶対に三組で一番になる。」と親に宣言した。実際、合宿では大人数の人がいて圧倒されかけたが、自分のペースで勉強できたので、思ったほどキツくもなかった。そして有言実行、合宿中に行われたテストでは全て五教科総合で一位になれた。それが私にとって少し自信につながった。

日進では本当に波があって何を信じたらいいのか分からなかった。チャレンジコースはほぼ安定していたが、ウルトラコースになると、本当に差が激しく、二〇位以内に入れることもあれば、八〇位台だったこともあった。また、科目別で見ても特に得意といえる科目はないかわりに、苦手科目は本当に多く、理科、国語、社会と三つもあった。国語はおそろしいぐらい波があった。もともとはそんなに苦手ではなかったのだが、徐々に悪くなり、最悪なときは女子で最下位だった。理科なんてもっとひどく、ほとんどが平均点以下だった。
さすがに自分でも「これではまずい」と思い、過去問、苦手な単元の日進などをやり、自分なりに努力した。土曜日はより静かで集中できる塾で勉強した。しかし、努力はしたが、あまり伸びず、苦労したことも多かった。それはおそらく、しっかりとした目標が持てていなかったからだろう。実際、私は第一志望校を決めるのがみんなより遅かった。洛南高等学校と膳所高等学校でずっと迷っていた。結局はより部活を熱心にできそうな膳所高等学校にしたのだが、自分がそこに通っている姿を想像したこともなかった。それぐらい、意識は低かった。

そんな調子で受験ははじまった。「どうせなら、受験する高校は全て合格しよう」と思った。二月二日にはじまり、二月十四日までは順調だった。先生にも微妙と言われていた洛南高等学校も合格できた。しかし、二月十五日、特色選抜で私はおちた。もともと受かるとは思っていなかったし、その事実に関してはそこまでショックではなかった。ところが、何と同じクラスの女子は私以外全員合格、クラスでの受験者十四人中、合格者は十人だった。それが一番くやしかったし、悲しかったし、腹も立った。あんなに自信がないと言っていたではないか、それは安心させるためだったのか、と思った。みんなは悪くないのに、周りの人にヤツあたりばかりしてしまった。また、みんなに気をつかわれるのも辛く、本当は塾なんか行きたくなかったが、それでも私は休まず塾に通った。塾では平気なフリをしていたが、実際は泣きたかった。家ではいつまでもメソメソしていて、なかなか立ち直れそうになかった。正直、もう受験も終わりたかったし、「もし一般でダメだったら」と考えるととてもこわかった。洛南高等学校に行こうと考えたこともあった。しかし、私の第一志望は膳所高等学校なのだ。目の前の現実から逃げてはいけない、と強い意志をもった。

そして三月十六日。私の受験番号三〇三五はちゃんとあった。うれしいよりもホッとした。特色で受かっていた友人も喜んでくれた。
今までは大して勉強もしていなかったくせに、もう勉強ばっかりは嫌だ、と思っていた。しかし、二月十五日から三月九日までの間、私は初めて「本気」になれた。初めて「受験勉強」をした。初めて「絶対に何が何でも合格してやる」と強く思ったからだ。

エンジンがかかるのが遅く、何事も中途半端だった私が、なぜ第一志望校に無事合格できたか。それは多くの人の支えがあったからだ。私の体調を気遣ってくれた両親。心配して何度もメールをくださったY先生。常に温かい雰囲気で迎えてくれ、私に良い刺激を与えてくれた仲間。そして小学校の時にお世話になっていたT先生。先生は特色選抜の結果をY先生に聞き、私に手紙を書いてくださった。
「神様は、それを乗り越える値打ちのある人間に試練を与えるそうです。でも絶対乗り越えて! あなたならやれる!」
これは手紙に書かれていた言葉だ。この言葉に私は一番救われた。うれしくて涙がでた。

三年間、本当に多くの人にお世話になった。感謝の言葉をおくりたい。