受験生と保護者の「第一志望こだわり」体験!

早めの決断が合格のカギ! 悔いを残さず、常に前進あるのみ!

僕が成基学園に入ったのは小六のときだった。小六になってしまうと、中学受験で成績が上位の中学校に入学するのは困難なことだとそのときすでに知っていたので、「トップ高ジュニア」のコースでトップの高校を狙おう、というようなことを思っていたのかもしれない。

そもそもなぜ、成基学園に入りたかったのかというと、僕にはある友だちがいた。彼は小五から成基学園に入って洛星中学校を狙っていた。中学受験は子どもの受験、というより親の受験であるというイメージが強い。しかしそんな中、彼は一人で決断し、とても必死に勉強していた。僕は、彼の人生に関わるような大きな決断がうらやましかった。そして自分も大きな決断をしてみたいと思ったのだ。しかしそう思うのが少し遅かった。だから僕は、とりあえずトップ高ジュニアに入って高校受験の準備をしようと思った。

彼は洛星中学校に合格し、その思いはより強くなった。だから、中一になって新しく入ってくる英語の勉強をがんばって、成績もそこそこ良かった。しかし、中学校や塾に慣れてしまった僕は、中一のときとはがらりと変わり、中二の成績はかなり下がっていった。そして僕は中だるみの沼にはまった。しかもかなりきれいで模範的な中だるみだった。

中三になったとき、僕はある決断をした。今思うとこれは人生を大きく変える決断だった。僕はTNR特訓へ通う決意をした。TNRの午前中の教科は課題が多く出されたので、午後だけ来ているという人が半数以上いた。ここで僕は一つの選択を迫られた。部活をとるか受験をとるかであった。部活をとればTNRの課題ができないので中途半端になってしまう。受験をとれば部活を辞めてしまうが、TNRの課題をしっかりとできる。そして、僕は中途半端よりはバッサリ切って辞めてしまう方が良いと考え、部活を辞めて勉強に専念した。良く知っている友だちが、部活に励んでいるのを見るのは少しつらかったが、他の人より少し早めに受験勉強を始めたと考えると少し自信が湧いてきた。

その結果は中三の二回目のオープンテストから表れ始めた。今まで不規則に上下していたテストの順位が、統一して二〇位以内をキープするようになった。そして、最後のオープンテストが終わり、「あのときの決断は正しかったんだな」と中三の夏の段階ですでに満足していた。しかし、そこでは終わらなかった。

夏休みに入ると、まわりのみんなも本気で勉強するようになっていた。早めにスタートしているので少しリードしている、という余裕はあったものの、それ以上に自分ももっとがんばらないとすぐ追い付かれるだろうという焦燥感があった。だから、夏の合宿のクラスが一組だと聞かされたときはとてもうれしかった。あのとき、あの決断をせずに二年のときの成績のままだったら、一組など夢のまた夢だっただろう。僕はそこで、あの決断なしには見られなかったすごい人々を目の当たりにした。今まで追い越そうとして追い越せなかった、姿がはっきりとせず数値だけしか見ることのできなかった輩たちが、一人ひとりどんな人物なのかを知ることができた。そういう人たちを見て、やはりすごいと思った。しかし、彼らも同じ人間なのだ。時には悲しんだり、落ち込んだり、スランプに陥ることもある。そう思うと「追い越してやろう」と、やる気が湧いてきた。

秋になり日進が始まった。毎週、自分の勉強の成果を詳しく知ることができる、それが日進だ。そこで僕はオープンテストより順位がかなり良かったので、自分でもとても驚いていた。時には順位が悪くなるときもあったが、たいていは納得のいく成績をとっていた。日進の復習も怠らずにやった。それは二年のときの自分からは、想像もできないことであった。これもすべて、あの決断のおかげである。

二〇〇九年も二〇一〇年に変わり、正月特訓が始まった。正月特訓は朝早くからあるので、三日間連続の早起きはつらかったが、合宿やTNRで知り合った人たちが多くて楽しかった。また、志望校別の対策授業も始まった。この授業では、クラスのみんなが同じ高校を目指しているので、他の人をライバルと考えピリピリしている人が少なくなかった。そして受験一ヵ月前ということで緊張感があった。
最後の一ヵ月は、僕は過去問と体調管理に重点をおいた。この一ヵ月は結構リラックスしていて、今まであまり見ないようにしていたテレビも見ていた。

そうこうしていると、滋賀県の私立の受験日がまずやってきた。問題としては難しくないが、緊張で普段より問題を解く時間が長かった。そして、本命の東大寺学園高等学校の入試の日がやってきた。その日は緊張しすぎて、すぐにお腹が減るので、一〇〇パーセントの力は出せなかったが、終わったあとは、「終わらしてやった」という満足感があった。その日と発表の間にある一日は、受かったらどうなるか、受からなかったらどうなるかということを具体的に考える余裕は全くなかった。ただ、「受からなかったらどうしよう…」という不安ばかりが募るのだった。だから、「合格」と聞かされたときは、その不安の倍だけうれしかった。そのあとの灘高等学校も合格し、僕の人生で一回しかできない高校受験が終わった。

僕が、これから受験する人に言いたいことは二つある。一つ目は、「できるだけ早く決断した方がいい」ということである。僕はそれで成功した。二つ目は、「落ちても悔いは残すな」ということである。僕の友だちに、悔いを残したまま不合格だった人がいる。彼は、やるべきことができなかったことを、とても悔やんでいた。だから、これからの人には、できることはすべてしてほしい。
最後に、今まで支えてくれたメンターやスタッフの方々、どうもありがとうございました。