受験生と保護者の「第一志望こだわり」体験!

努力すれば道は開かれる。やりぬいたことを実感し、大きく成長!

小学校の勉強には自信を持っていた。実力試しのつもりで入塾テストを受けると、苦手な国語は仕方がないにしても、得意の算数までさんざんな結果をつきつけられた。くやしいと思うのと同時に、これが実力なのかと疑問に思う気持ちもあった。
入塾しても結果は変わらず、宿題をするのも大変だし、得意であったはずの算数のテストでも〇点を取ってしまうし、ボロボロだった。しかしいつでも社会だけは、ぼくの自信になっていたことと、学校見学会で先生に、
「今が一番大変な時、乗り越えたら楽になるから。」
と言われ、やるしかないと心に決め、がんばった。

まず、宿題を完ぺきに終わらせるよう努力した。それから苦手な国語のカバーのため、算数の強化に取り組んだ。算数の問題をどんどん解き、わからなかったら先生やお父さんに教えてもらった。すると算数も自信が持てるようになってきた。
そこで国語の得点カバーのために算数、理科、社会の三教科をがんばるという作戦をとった。作戦はうまく行き、オープンテストの結果もどんどん良くなってきた。でもその時の面談で先生に、
「目いっぱい点数を取っている教科の得点をあげるより、苦手な国語の得点を上げる方が簡単だから、得意な社会の勉強の時間を国語にまわしなさい。」
と言われた。でもぼくは、三教科作戦もうまくいっていたから、自分のやり方を通していた。

六年の日進エントランスコース、ベーシックコースでは、いい調子でいけた。しかしウルトラコースが始まると問題が急に難しくなり、各教科でさえ得点する事ができず、国語がすごく足手まといになってきた。その時になって初めて、面談で言われた先生の言葉の大切さに気付いた。あわてて国語をがんばり出してみたものの、力がすぐつくわけはなく、ウルトラコースの成績は国語の結果に左右されていた。自分で選んだウルトラコースだったが、投げ出してしまいたい気分だった。一番つらい時期だった。
自分一人でウルトラコースに挑戦していたら、くじけてしまっていたかも知れないけれど、いっしょにウルトラコースに挑戦するクラスの仲間がいたから、がんばれた。ウルトラコースの会場には、ことわざがいろいろ貼られていた。その中で「七転び八起き」が心にひびき、勇気をもらった。
算数の先生には、
「難しい問題ばかりやって気持ちがつかれているから、簡単な問題を解いて、自信をつけることが大切。」
というコメントをもらった。いろいろな人に支えられていることに気付き、精一杯やれるだけの事はやろうと力がわいてきた。

日進が終わると正月特訓、直前特訓と次々特別講座を忙しくこなしていた。あっという間に入試の日はやって来た。無我夢中でやっていたせいか、大変だったのか疲れていたのかわからない位だった。難しい問題だったが比較的できたと思った。

一月二十日、ぼくが、今まで生きてきた中で一番特別な日がやって来た。その日は第一志望校の合格発表の日だ。こんなに緊張した事があっただろうかと思うほど緊張した。ブザーが鳴り門を入ると、ドキドキして胸が苦しくなった。呼吸を整えながら一番から受験番号を追った。ぼくの番号は無かった。何度も何度も見直したがぼくの番号は無かった。くやしかった。心のかたすみで受かると甘い思いがあった。やるだけの事はやって、くいはないはずだったのに、もっと努力をするべきだったと後悔した。受験のためにぼくを支えてくれた多くの人たちに、いい結果を報告できなくてどうしよう、などいろいろな思いが頭をめぐって、頭の中が混乱した。どうしたらいいのかわからなくなった。

帰り道、今まで先生に言われてきた事を思い返したり、母と話をしながら心の整理をした。ぼく以上に努力して合格を手に入れた人たちがたくさんいた。今回は負けてしまったけれど、六年間、入学する学校でがんばり、六年後また勝負をしようと決意した。いい結果でなくて嫌だったけれど、塾に報告に行った。
「今までのがんばりは無駄にならない。」
とはげまされ気持がふっきれた。
第一志望校合格という切符は手に入れられなかったが、受験を通して、努力をすれば道は開かれること、多くの人たちに支えられてここまでがんばり、やりぬくことができた自分を実感し、大きく成長できた気がした。

先生の紹介してくれたエイブラハム・リンカーンの、
「断固として立つなら、敗れることはありません。勝利の時期は賢明な計画によって早まることもあれば、失策によって遅れることもあるでしょう。しかし遅かれ早かれ勝利はかならずめぐってくるのです。」
という言葉を信じ、六年後の新たなスタートをきります。